岡部・町医者・昔の話

往診の火は消えず

淳医師は磐田まで往診していた。♪田舎のバスはおんぼろバスで~、でこぼこ道をがたがた行くよ~♪ の時代ですよ。どうですか、バイパスも何もない時代にそんなに遠くまで行きますか?信じられない! ですよね。「たとえバイパスがあっても断るよ。非採算的、いや時間がないよ。」 ごもっとも。
なぜ往診したのか。それは「対診」を頼まれたからだ。

対診とは、患者さんを真ん中にして医者同士が診察することである。父は昭和24年に帰郷したが、CTがない時代の脳神経専門医として各地の医師から対診の希望があった。脳卒中が発生すると呼ばれていき、ハンマーやらなにやらで部位診断をつけ、治療方針と注意点を説明して帰ってくるのだ。
さて、問題は足だ。父はまず車(旧式ダットサン)を買い、次に運転手を集めた。当時は運転免許を持っている人が少なかったので、タクシーの運転手や、運送屋のおじさんなど数名を確保し、空いている者が運転して行くというシステムを作った。なにしろ昔のでこぼこ道をダットサンで行くのだ。時間がかかる。おにぎりを車内で食べながらの長距離ドライブだ。「先生も私もおにぎりをかじりながらの往診でした」(当時の運転手さんの言)そう言えば、父の帰りは常に遅かったことを思い出す。
運転手といえば先日、元運転手の人が気になる話をしてくれた。「淳先生の頃は景気がよかった。一辺に何件も往診する、どの家もスタートからの料金をもらったので大もうけだった。一番遠い家はものすごい料金になった。メーターのお金を会社に払い、あとは自分でもらった。」えー、それでいいのか。親父も注意しろよな。患者さんに気の毒だよ。

とにかく往診は多かった。患者さんに移動手段がない頃である。車を持っている医者が行くしかないのだ。冬の寒い日の朝、「昨日は往診が多くて眠れなかったな」とつぶやきながら起きてくる父が気の毒だった。地球温暖化の前だ、世の中は寒い。(ほんとう、よく氷がはったものだ)今なら電気毛布、電気あんか、いや暖房だが、当時は湯たんぽだ。足が温まるころにまた往診、考えただけでぞっとする。でも、そうつぶやきながらニヤッと笑う父はかっこよかった。親父、大丈夫だぞ。今でも往診は続いているよ。安心して成仏してくれ。

ご愛読、ありがとうございました。

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