岡部・町医者・昔の話

静高野球部準優勝のかげで

淳医師は精神科の出身だが、当時の阪大精神科は精神神経科で、現在の精神科と神経内科とペインクリニックを合わせた教室であったようだ。

岡部に帰ってきて早速農家の方々の腰痛、膝痛に対しペインクリニックを開始した。これが効く。戸板で運ばれてきたギックリ腰が注射後は歩いて帰る。五十肩、寝違え、三叉神経痛、なんでもござれだ。当然評判を呼び、御前崎や焼津に入る漁師さんたちがグループで来るようになった。レセプトが串本、枕崎、御前崎、釜石となり、請求がめんどうくさかった。(おかげで港町ブルースはすぐ覚えられた)これは私が開業してからも続いた。

傍脊椎部やら頚椎に長針を入れブロックする方法だから、命中するとメチャクチャ痛い。患者によっては「ヒエー」とか「ギャー」とか悲鳴をあげる。待合室にいた神経痛患者が恐れをなして帰ったという話しもある。(昔の受付嬢の言)しかし、この注射は残念ながら「ブロック」としての料金は認められなかった。私も効果を目の当たりにして、これは立派なブロックだと思い、何回か支払い基金に再請求したが、「注射液の量が少なすぎる」という理由で認めようとしなかった。ギックリ腰が一回で治っても料金はロカイン1ccの筋肉注射であった。そんなことにお構いなく父はこの劇的治療が好きで、「どうだ、効いたか、もっとこっちか」と楽しそうに注射しまくっていた。しょせん神経痛の注射だが、思わず輝いた時期があった。それは静岡高校が甲子園で準優勝した時のはなしだ。

野島監督(確かそうだったと思う)が夜、練習を終えた野球部員を何人も連れてわざわざ岡部に来る。顔と腕の半分だけ真っ黒、体は真っ白という野球独特の日焼けスタイルの若者が注射の痛みに耐えていた光景は今でも想いだす。恐怖に顔がこわばらせて順番を待っている子もいた。おかげで甲子園に行き準優勝だ。県大会では父がベンチ裏に控えた。(そこで注射をしたかどうかは想像にまかせる)後に監督がお礼にきて大きな写真を置いていった。

その後何年かして、監督が交代し選手は来なくなったが、父は「痛みが出るくらい練習しなければ甲子園にはいけないな」などとしばらく監督気取りであった。ちなみに、私の弟は整形外科医だが、父の苦労と工夫の末に編み出されたこの注射の効能、効果を信用せず、「永久ブロックでもないのに、一回で治るわけはない」と主張していた。「まあ、大学の偉い先生にはわからないか」と言って、父は微笑んだ。まさに明鏡止水、名人の境地だ。
偉いぞ、親父。今でも遠くから患者がくるぞ。


写真

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