往診すると見えてくるもの

三輪一太

まだ私が総合病院で勤務していた時だった。
その患者さんは珍しい悪性腫瘍で治療法も確立されていなかった。
当時勤務医であった私は手当たり次第文献などを読み漁り、特殊な治療を発見した。
その治療を患者さんに試してみると見事に当たり、奇跡的な延命を得て、何年も長生きしていた患者さんがいた。とても紳士的で物静かな穏やかな方だった。

その後私が退職し、三輪医院で働きはじめて数年が過ぎたころ、総合病院より「患者さんの病状がだいぶ進み動けなくなった。
在宅にて療養したいので、三輪医院にお願いできないか。」との連絡があり、往診が始まった。師走の暮れの出来事だ。

退院直後より、精神状態が混乱状態に陥り、暴れたり昼夜逆転したり大変な状態になった。
悪性腫瘍が肝臓に転移していたため、肝機能が悪化し、肝臓で代謝されない毒が、頭に回ったためだった。
介護者である妻もパニック状態となり「こんな状態になるのなら、病院にいたほうがよかったのではないか」という言葉を一度だけ漏らしたことがあった。
元旦も暴れだしたため、元旦も1日2度の往診をした。
妻の精神的サポートも必要と考え、休日も含め週2回の往診のほかに毎日朝電話し、なだめ、励まし、支持し、細かい薬剤の指示をした。

患者さんは治療の甲斐もあり落ち着き、その後1か月は低空飛行ながら良い時間を過ごすことができた。
奥さんより「夫は元気なころは良く働き夜もよく遊びに行き、あまり話す時間もなかったけど、この1カ月で随分たくさんのことを話すことができた。
うれしい。本当に幸せな時間でした。最初病院にいたほうがいいとか言ってしまった時もあったけど、家に連れて帰ってよかったです。」との言葉が見られた。
このころには奥さんの精神状態も落ち着き、笑顔でおだやかな介護をされていた。
患者さんより妻に対し「おれがあの世に先に行くけど、お前があの世に来るとき迷ったら、途中まで迎えていくからね。」との発言もあった。

最期は妻、娘に囲まれて安らかな旅立ちだった。

総合病院で診察していたころは外来では目の前の病気のことが一大事で、CTの結果や、採血の結果、治療のお話しが主であった。
その人のくらしや、生きてきた道、家族のことなどは見えにくかった。

しかし同じ患者さんを在宅で診ると、全く違った視点で診察していた。家におじゃまし、家族との幾度とないお話の中で、患者さんの、過ごされた人生、作ってこられた環境、家族を知ることができた。
たくさんの面白い話も聞いた。笑った。泣いた。往診をすることを通じて、患者―医者の関係でなく、人間同士のつながりとなったことを実感できた。
最期は私も涙を抑えることができなかった。仕事でこんなに感動できるなんて幸せだ。