もっとお世話したかった。

三輪 一太

「こんなところに家があるのか。」衝撃的だった。長く岡部に住んでいるが、今までその場所の存在すら知らなかった。携帯電話も通じないし、サルもいた。岡部のうんと山奥のさらに小道に入ってしばらくいったその先にその家はあった。聞くと先祖から何百年とその場所に住んでいるという。うっそうとした森の中である。

患者さんはガンの末期で80歳を過ぎた男性であった。若い衆は日中仕事で家におらず、ほとんど高齢の妻が介護していた。

「背中がかゆい。背中をかいてくれ。 水が飲みたいはやくのませろ。枕が低い。たかくしてくれ。」家では朝から晩まで威張っていた。一日中、妻に色々指示をしていた。あまりの注文の多さに、私には高齢の奥さんが少し気の毒に思えていた。聞くと夜も何度も起こされるという。小さく、細い奥さんのほうが先に参ってしまうのではないか。と内心気が気ではなかった。

ずっとそんな調子であったが患者さんは1か月がたち、徐々に弱り、眠るように亡くなった。その日は豪雨で横を流れる沢があふれるのではないか。裏山が崩れるのではないかと心配しながら、看取りに向かったのを記憶している。

「これで奥さんも解放される。」私のなかでなにかほっとした気持ちがあった。これだけ尽くしたのだから奥さんもさぞや満足されていることだろう。と想像しながら家に向かった。

「もっとお世話したかったです。残念です。」最初に出た妻の言葉である。
正直私はびっくりした。あんなに昼夜を問わず、夫の細かい注文を聞いてきて、どう考えても大変だったろうにそんな言葉が出るなんて。

この一言は患者さんと、奥さまの長い夫婦関係を物語るものであろう。付き合いの浅い私には想像しえないものであった。
奥さまは今でも私の外来に通っているが、数年たった今でも同じことをおっしゃっている。
天国にいった旦那さんも喜んでいることだろう。