ガンだって上手に看取ってくださいよ

「ガンだって。上手に看取ってくださいよ。」こういってAさんはにこにこしていた。

私が藤枝市立総合病院から三輪医院に移ってまもない春、Aさんとの最初の診察での話。
「最近動くと少し息が切れる。」「そうですか。胸のレントゲンでもとりましょう。」とレントゲンを撮ると、そこには明らかにガンの転移を思わせる影があった。
診断をつけるため病院に行っていただいた。結果はガンの肺転移、骨転移。
これまで痛みもなく、こっそりとガンが進んでいたのだ。
ガンの末期である。

病院から帰ってきて私の前で言った最初の一言が「上手に看取ってくださいよ。」という言葉だった。
紹介状をみると抗がん剤などの積極的な治療は希望されず、緩和医療のみを希望されたとのこと。
今まで病院にいた時代は「上手に治してください」と言われたことはあったが、「上手に看取ってくださいよ。」と言われたのは初めてだ。

こうなると通常余命数カ月。ご家族にも秋までもつかわからないとお話しました。

そこから週1-2回の往診と訪問看護が始まった。
介護者が独身の息子さん一人であったため、最初は大変であった。
Aさんのリクエストでいっぱいいっぱいになってしまった息子さんがめまいを起こして倒れてしまったこともあった。
しかし大方の予想に反し、状態は安定していた。
夏が過ぎ秋が来るころには息子さんも立派な介護者となっていて、食事や水分補給などいろいろ工夫して母のリクエストの前にいろいろ考えてくれるようになっていた。

「1月に孫の結婚式があるんです。」師走のある日Aさんはつぶやいた。
体力は落ち、自分でトイレに行くのがやっとの状態。
転移した肺がんで少し歩くとゼーゼーする。しかしなんとかお孫さんの晴れの姿を見せてあげたい。

悩んだ末、在宅酸素を入れ、酸素ボンベをつけて結婚式に参加してもらった。
何かあればすぐに私の携帯電話に電話してもらい駆けつける準備をしていた。
約半年ぶりの外出であったが、無事結婚式に参加し、記念写真にも収まっていた。
酸素の管は恥ずかしいからと記念撮影のときは鼻のチューブをとって撮影されていた。
嬉しそうなAさん。

その後Aさんは低空飛行ながら2月の米寿も無事迎えた。
3月も半ばになるとトイレに行くのも大変になりオシッコの管を入れた。
食事もとれなくなり、介護していた息子さんの前で枯れるように静かに息を引き取った。
50回目の往診で死亡診断書を書かせていただいた。

上手に看取らせていただいたかどうかはわからないけど、家にいることでずいぶんと命が延びたと感じた。
そしてお孫さんの結婚式に参加することができてみんなの胸にAさんの思い出がずっと残ることができた。
病院ではありえない奇跡が起きた。
住み慣れた家で慣れた家族と過ごすことで免疫が高まりがんが進む力が抑えられたのだろうか。