号泣

「おばあさん・・入院しますか・・ここに居ますか・・」

死に瀕した患者さんの耳元で、居並ぶ親戚に聞こえるように私はわざと大声を出した。返事は期待しなかった。たぶん全員が期待していなかっただろう。しかし返事は返ってきた。

「正江(仮名)のそばがいい。正江にみてもらいたい」

それはびっくりするほど凛とした声だった。死を前にした人の覚悟が感じられる声であった。
一瞬の静寂のあと、私の背中でお嫁さんが号泣した。まさに号泣だった。
私はかつてこの種の号泣を聞いたことがない。

思えば壮絶な戦いであった。70才に手が届こうとする介護者(お嫁さん)、寝たきりになっても決してお礼を言ってくれない90才のおばあさん、時々来ていやみを言って帰る親戚、小姑。そして誰が悪い、誰が正しいなどと考える余裕さえ奪う介護の現実。オムツを換え、食事をつくり、食べさせ、夜も起こされる現実。近所づきあい、友人づきあいも断りひたすら介護に明け暮れざるを得ない現実。この現実がもう何年も続いているのだ。極度の介護疲労のなかで必死に長男の嫁としての責務を果たそうとしているその人に向かって、「こんなに悪くなっちゃって」「なぜ入院させないのか」「もっとやり方はなかったのか」の非難。確か本人が入院を拒否し、親戚も納得していたはずである。しかも入院しても甲斐がない老衰であることは誰の目にもあきらかなのだ。この期に及んでの非難は卑怯である。

そしておばあさんのあの言葉。

「おばあちゃんのあの一言で報われました。」
葬儀のあとお礼に来られたお嫁さんは丸い背中をもっと丸めてやさしく笑いました。